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土曜はBa.ようすけの無料会員でも読めるコラム①

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土曜日にコラムる男(Ba.新田洋輔)

第三回

 皆様ご機嫌いかがでしょうか?ザ・マスミサイルでベースを弾いております、新田洋輔と申しマス。どうにも一度筆を執るとまあまあ止まらなくなってくれるというか、言葉の泉というものがあるのならば、そこから現れたイタリア彫刻の様なムキムキの神様が「こんなのどう?これもいけるかな?」と助言をくれているというか、、まあそんな感じです。
 今回からはザ・マスミサイルというバンドの結成秘話を泉の神様のチカラと僕の記憶力に頼って書いていこうと思います。何せ22年も前の話ですからねぇ。間違いがあってもよっくんにしか捕捉できる可能性がないのがワクワクしますね。でもこれがウィキ○ディア
には載っていない真実だという事です。そしてよっくん視点から語られた話を聞いた事がある方も居るかもしれませんが、これは僕(新田洋輔)視点のアナザーストーリーだという事。
 時は2000年の9月、大学音楽サークルの延長という形ながらライブハウスのオーディションを受けたりしながら活動していた4人組が居た。Gt&Vo.渡部勝敏(わたなべかつとし)、key.渡部貴彦(わたなべたかひこ)、Dr.広瀬二郎(ひろせじろう)、そしてBa&Voが僕、新田洋輔である。
 同年の6月に初めてライブハウスのステージに上がる事が出来たのだか、ライブの手応えは感じられず、その時のVo.が学業専念のため脱退し、僕と勝敏が歌う事でバンドの体裁を何とか保っていたというのが現状だった。2000年代初頭と言えばHI-STANDARDをはじめとしたジャパニーズメロコア、パンクロックの全盛期で、あんな風にフロント二人で歌って、いい感じになれば良いなぁと淡い期待を抱いていたが、まあそんな簡単に行くわけもなく、4人の中では歌唱力と才能に溢れたVo.が必要だなと言う気持ちは日に日に大きくなっていった。
 そんなある日、key.担当で他三人より一つ年上の貴彦さん(勝敏のお兄さんだからまあそうなんだけど)がキラキラした目で僕らを呼び出し、何やら紙?というかほんとに小さな小さな紙片を差し出し「電話してみようと
思うんだけど」と言ってきたのだ。

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