共有論と合有論ーー相続財産の共同所有の性格

共有論と合有論ーー相続財産の共同所有の性格

⑴共有論
 民法制定の当初から多数説は、相続財産を共有とする考えに立っていた(898条1項参照)。すなわち、共同相続人は、遺産に属する個々の財産につき持分をもち、これを自由に処分できる。

⑵合有論
 遺産の共同相続は、その分割に至るまで経過的な関係ではあるが、その遺産の分割を適正・妥当に行うという目的によって統合されている形態である。しかも遺産は、極端な場合を除いては、常に多数の各種の財産から成る一種の財団であり、その分割にあたっては、各種の財産の種類・性質(たとえば可分か不可分か、分割によって価額の減少をきたすかどうか)ばかりでなく、それが遺産の中で占める地位や共同相続人たちの主観的な諸条件などを考慮して行うのである。その意味で一種の目的財産であり、組合財産に類似する。分割完了前の持分の処分、または持分に対する執行を認めてこの基本原則を打ち破ることはとうてい容認しえない。つまり遺産は全体として共同相続人の合有に属し、相続人たちは各個の相続財産の上に持分権をもたない(総遺産合有説)。あるいは潜在的な持分をもつがそれが合有としての制約を受けている(各個遺産合有説)。

⑶ このような遺産共同所有の本質から展開される合有論は多くの支持を得たが、戦後に新法を制定した際には、合有論の線に沿って立法することをせず898条に「共有に属する」という文言を用い(登記上も共有と合有の区別を設けず)、分割前の持分の処分が、その後の分割の遡及効(909条本文)によって覆ることを防ぐために、「ただし、第三者の権利を害することはできない」という但書を設けた。その結果、分割前の処分を認める形になり、合有論の影がうすくなったともいえる。
 しかし、学説の中には立法論としては合有的性格を正面から取り上げるべきであるとし、解釈論としても、909条但書は、第三者保護のためのやむをえない措置とみて、合有論の立場で解釈する(少なくとも第三者の善意を要件とする)のが正しいと主張する者もある。もっとも、最近は共有か合有かの概念的論争そのものに反省が加えられ、これを一応共有であるとする民法の下で、具体的問題の処理にあたって、どの範囲でこれを合有的要素を加えるべきであるか、もしくは加えることによって妥当な結果を導くことができるか、という点に学説の関心が集まっている。

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